[大川村インタビュー]川上文人さん

  • 更新日:2022/02/22
  • 公開日:2022/04/01
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2004年に51歳で妻である千代子さんの地元、大川村にIターン移住されてきた川上文人さん。自宅の裏山に100本を超える桜を植え、現在では大川村の春を代表するイベントである「大川村さくら祭り」を運営されています。そんな川上さんに村を訪れた時の印象からお話を伺いました。

まぁ山深い。なんだこの山は…という印象でした。私は鹿児島県の長島という離島の出身で、どちらかというと海に馴染みがあったので、まさかこんな山奥とは…と驚きましたね。 ただ、海と山は密接な関係にありますから、住んでみようか、という気持ちは変わらなかったです。

私が移住してきた平成16年の夏は、早明浦豪雨に見舞われて村に大きな被害が出ました。我が家のすぐ裏の木々もそういった豪雨でいつ倒れるか…という不安もあり、切ってしまおうと。ただ、そのままだと寂しいこともあるし、どうせなら桜でも植えて花見でもしようか、ということで苗木を植えたのがはじまりですね。

――最初は防災と個人で楽しむのが目的だった、というわけですね。

そうですね。10年もすれば花見も出来るだろう、と思って植えていきました。最初は10本ほどからスタートしたんですが、植えていくうちに「どうせならあっちも植えたいな」と(笑) 今ではソメイヨシノが70本、しだれ桜が30本になりましたが、はじめの頃は友人や知人に「花見ができるよ」と声をかけて身内で楽しむ程度でした。

――それが村のイベントになっていったと。

村の名前をつけたのは、大川村をみんなに知ってもらいたいなという想いからです。村に相談したところ快諾してもらい、2013年にはじめて「大川村さくら祭り」として開催しました。 山に囲まれた村ですから、山を作らないと、山を動かさないと、という想いもありました。 山を動かせば人がやってきて、ものづくりも生まれる、と考えています。

まずは、みんなが分かち合える場所、気軽に立ち寄れる場所づくりをしていきたいなと。そして若い方が参加できる村にしていきたいと思っています。 そのためにも、村出身の若い方が帰ってこられる村づくりをしていかないと。 大川村では、保育園や給食費の無料など、子育て世代への様々な支援がありますから、もっと力を入れていることを発信して、村を離れていった子供たちが「もういっぺん育った村で生活しよう」と思ってもらえるようになってもらえればいいですね。

――大川村は移住者の方が活躍されている印象があります。

移住者の若者が2人、村議になってくれましたし、移住者が頑張る姿を見せることで、地元出身の方も「あいつらだけに任せられるか」と思ってもらえれば。 移住者だけでは絶対に村づくりはできませんから、村で生まれて村の事をよく知っている方、外に出ている方が村に戻ってきて、意見を述べてくれるようであってほしいなと思います。

この村はモノ作りができる村なんです。 テーブルなんかも手作りですよ。村に来た最初のころは、妻の母の勧めもあって、大川村で飼育されていた烏骨鶏の卵を販売しようと600羽ほど飼っていました。その烏骨鶏の卵を収めるための木製ケースも手作りです。小屋も作りました。 私はもともとモノ作りが好きなので、この村にあるものでどんなものが作れるだろう、と考えています。

――さくら祭りの会場やお祭りそのものも作られているという意味では、村づくりもされているように思います。

そうかもしれませんね。自然豊かなこの村で、色々なものを作っていきたいです。

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